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Life is Beautiful... 昨日、今日、そして明日、、

平和のテクノロジー

この世で、車が発明されたのは、、、


はじめ人間ギャートルズ?の石のタイヤから始まって、、、
(これは漫画の世界、、)
そのうち、馬車ができて、、、
蒸気自動車の誕生、、、
そしてガソリン車ができて
現在は、一部が電気自動車へ、、、


テクノロジーの進化はすごい! 


、、、と、なぜか手放しで喜べないのはわたしだけ?


かれこれ100年以上も経ったのに、、、
昔から、ハンドル1個、タイヤ4本、、、
基本形は変わらず、、、いまだ排気ガスをばら撒きながら、、、


日々、研究、開発に努力されているエンジニアやその他、関係者の皆様には、尊敬の念を持っていますよ。


でも、なんかふに落ちない、、、


確か10年ほど前でしょうか、、、
日本の 井出 さんという方が、フリーエネルギーの開発に成功したのですが
いつの間にか、その姿を隠して、世の中から忘れ去られてしまったかのようです、、
彼は確か電機技師? だと思いますが、その開発には、奥様も関わっています。
その奥様は チャネラーで、宇宙のある生命体とコンタクトして、開発の助言をもらっていたそうです。


その助言をもとに、現在の基本となる交流電気ではなく、直流電気で、、、
一旦入力した電源は、そこからまた4倍に出力されて、どんどん限りなく電気が生み出されるシステムだそうです。


それはニコラテスラの原理を利用しているそうです。


ニコラテスラは、空気中からエネルギーを取り込む、巨大なコイルの機械を発明しました。 その機械を作動させると、周りのものが宙に浮き上がる現象が確認されていて、新しい航空宇宙学に応用できると考えられていたそうです。


私は技術者ではないのでチンプンカンプンですが、、、


もしこれが本当なら、、、
電気代もいらないし(もしくは僅かで済む)、車だってクリーンエアーで永遠に走ります。
世界の公害も解決されて、貧しい国の人々も、明るいお部屋で衛生的な生活を送ることができるのです。


宇宙の生命体?、、、
永久機関?、、、


なんだか 胡散臭い! そう思う方もいるでしょう、、、


ところがそうでもないんです。


この機械の開発に関して、天下の アメリカ航空宇宙局 NASA から招待されて会議にも出席してるんです。


また、それに関する書籍も出していて、特許も取得しているようです。


それでもインチキ! という方も多数いるようですが、、、
きっと、、、石油会社か電気会社の方々なのか
、、?

でも、どうしても、私には彼が嘘つきとは思えないのです、、、


世界を相手に自分の発明を公表して、、、
だいの大人が、そんな大嘘をつくでしょうか、、、

そんなことしたら、後ろ指指されて、道を歩くこともできません、、、


本の中にも書かれているのですが、、
その宇宙の生命体からは、まだ公表してはいけない!と言われていたそうですが、、、
我慢できずに、公表してしまったようで、、、宇宙人さんご立腹!?


その昔、アメリカの発明家が、水で走る車の開発に成功!
そしてメディアを巻き込んで、アメリカ大陸横断を遂行!
最終的にその方、、行方不明に、、、。


こういう世の中ですから、、、


生活するために、、、
生きて行くために、、、
支払いのために、、、


人間が働く意味って、なんなのでしょう、、、


人や環境(自然)への 奉仕。


それが、働く本当の意味だと、私は思うのですが、、、


安らかで平和な世界は、、、いつ訪れるのでしょうね、、、
平和のテクノロジー、、、私が生きている間に、おめにかかりたいものです。

向こうの世界から 1

中学2年生の頃、当時日本はユリゲラーの来日やUFOブームの真っ只中。


もしかして、あなたはスプーンや壊れたを時計を手にして、、、
テレビの前に座っていた1人? 、、私もその1人です、、、😆


結局、私のスプーンは曲がりませんでしたが、、、。😔


当時、「木曜スペシャル」という、世界各国で起きたUFO事件を取り上げた特別番組がよく放送されていた時期でもあります。


ある日、その番組の中で (確か)青森の青年が湖畔でUFOを呼ぶ! という生中継があったのです。


私は固唾を飲んでテレビにかぶりついています、、、。


すると、どうでしょう、、、 なにやら 光の塊が ゆら〜りゆらりと現れて、今度はジグザグ飛行!! もう、ビビりました!😳 と言うか、子供心に衝撃です!


番組終了後、興奮冷めやらぬ私は、家の外へ飛び出して、あの青年のように、空を見上げて、、、唱えます、、唱えます、、唱えます、、。 


唱えると行っても、特別な呪文などではなく、自分の氏名と場所を唱えて、現れて欲しい!と 願うだけです、、、😅


10分ほどが過ぎた頃でしょうか、、、


何やら、光の線のようなものが、空を横切ります、、、ふぅ〜む、、


目の錯覚か、、? それとも電線に通り過ぎる車のライトが反射しているのか、、、?


今度は、電線のない反対の空を眺めて、、唱えます、、唱えます、、


やっぱり、なにか、、ササッと 光の線のようなものが、、、
ちょっと怖くなり、、、父親を呼び出して、確認してもらうことに、、、
でも、まともには取り合ってくれません、、、
頂いた言葉は、、、「宿題したか! 早く寝ろ!」😅


翌日、学校にいくと、隣のクラスの F くんが私のクラスに遊びに来ていました。
F くんは、学校でも有名人。 なにが有名かって、、、
学校で一番! お勉強ができないちょっと変わったおバカな生徒、、
テストはいつも0点!🤣 


でも、なぜか意気投合して、、、
学校が終わったら自衛隊の演習場へ鉄砲の弾を探しに行こう! 
ということになり、、
当時は、密かに鉄砲の弾をペンダントにするのが 流行っていて、、、
下校後、私達はさっそうと自転車で、自衛隊の演習場へ向かったのです。


結局、そんなものは見つからず、、、


そんな時、、、


「ねえ! こないだの木曜スペシャル見た?」 と、どちらかが言い出し、、、
あの青年のように、呼んでみよう! となったのです、、、
小高い丘に立って、、、唱えます、、、唱えます、、、


遠くに見える山脈に日が落ちて、オレンジ色から、淡い紫色に変わって、、、
1番星がキラキラ輝いて、日が暮れてしまいそうです、、、


「だめだ、なにも飛んでこないね、、、」
私達は肩をすくめて、丘の下に停めてあった自転車へ向かおうとしました


と、その時です!!


50メートルほど離れた、農家の屋根の上をかすめるように
お〜きな楕円形のオレンジ色の光が 音もなく スゥ〜と飛んでいったのです。


その時のイメージはこんな感じです。


私達は顔を見合わせて、、、
一目散に自転車へ飛び乗り逃げ帰りました、、、😱


帰り道、、、


さっき見たことを話し合いながら、、
「きっとこの話をしても、誰も信じてくれないよね、、、」


「そうだ!」
「今夜もう一回呼んで、証拠写真を撮ろう!」ということになり
明日は学校もお休み。 F くんを私の家に泊めることに。


私の部屋は2階で、西側の窓を開けると、そのすぐ下のお風呂の屋根があり、
そこには、録音用のカセットデッキをおいて、カメラもしっかり手に持ってスタンバイ。


家族も寝静まった夜中の12時ころ、、、
僕たちは、唱えます、、、唱えます、、、


すると、なにやら、、、大きく変な音が鳴り響いてきました、、
ウィ〜ン、ウィ〜ン、ウィ〜ン、、、、


最初は、近所に住んでいる、暴走族のお兄さんが、アメリカン・パトロールフォーンを鳴らしているのかと、、、


注意深く聞いてみると、その音は、私の家の裏庭から鳴り響いているんです!!
親に知らせようと、階段を駆け下りて、、、
「起きて! 起きて!」「変な音がするよ!」
両親は、まったく取り合ってくれません、、、、😤


そのうち、その奇妙な音は消えて、、、(驚きのあまり、録音し忘れ、、)


季節は秋の終わり、、 
空気は冷たくて、澄んだ空に沢山の星がきらめいています。
部屋の中とはいえ、窓を全開にしいるので、僕たちの息は白くはき出されます。
さっきの音は何だったんだろう、、、
あたりは静まり返っています、、、


僕は、カメラを構えて、その時を待ち構えていました、、、


と、突然!  


音もなく 人形の光が 空から舞い降りて
少し離れた向かいの家の屋根の角に「ぶつかる!」と思った瞬間パッと消えたのです。



その光に目が釘付けで、写真を撮るどころじゃありません、、、


もう、(恐怖で)心臓の音が耳元で大きく脈打つのが聞こえます。😨
それから数分経った頃でしょうか、、、


今度は、僕の部屋の軒下で ”ジャリ、ジャリ” 、、、
石を踏む、足音が〜〜〜〜〜〜〜〜!!😱


もう パニック〜!!です。😱😱😱😱


僕たちはカメラを投げ出して、窓も閉めて、鍵をかけて、、、
布団に潜りこんで震えていました、、、。😭😭😭


きっと、ここからです。 私の人生が変わったのは。


空を見上げるたびに、彼らがサインを送ってくれるのです。


向こうの世界と繋がって、、面白い!!😁

アメリカに憧れて、、

僕が17歳くらいの頃、日本はスーパーカーブームで


ランボルギーニやロータス、パンテーラなど、部屋に大きなポスターを貼り付けて憧れたものです。

1971' パンテーラ


18歳になって免許を取り、最初に買ったのがセリカ1600ST 。
本当はGTが欲しかったのですが、高価で手が出ません。
長期ローンで、これがいっぱいいっぱいです、、、涙〜


当時は、友だちと遊ぶには、車やバイクは必需品。 
週末は友人とつるんで、海や山へガソリンの無駄遣いをして楽しんだものです。


16歳からはずっとバイクでしたが、やはり、雨風には弱いバイク、、、
最終的には車がメインになってバイクは降りてしまいました。


日本車もいいけれど、実は私、アメ車が大好物! 
あのどでかい リンカーン や キャデラック
さらに、スポーティーなコルベットがたまらなく大好きでした。


でも、当時は リンカーン = 怖いお兄さんがた というのが定番で、、、
私は、普通の一般市民でしたから、、、怖くてちょっと手が出ません、、というより
日本の車検や税金のシステムが、恐ろしく高いので、ある程度の高給取りでなければ維持できないのです。


の、はずが、ある時、友人がアメ車を手放すことに、、、それも格安で、、、


そして、ある日突然、私は夢のアメ車オーナーとなりました。


1971' プリムス 340 バラクーダ


フロントは若干落として、リアは太いタイヤにエアサスで持ち上げ、、、
当時のアメ車スタイルの基本です。


アクセルを強く踏みこむと、白い煙を上げてホイルスピ〜ン、、、
もう映画で見た、そのまんまです、、、。


排気量は5,6リッターエンジン、ご存知リッター3キロ、、、。
これがアメ車の常識、、、
なんと、毎月のガソリン代が15万円!
なんだか、そのために仕事をしているような、、、。
若気の至りです〜、、、、


この頃から、さらに強くアメリカを意識して生活していたのかもしれません


こんなすごい車がブイブイ走っているアメリカってどんなだろ〜、、


イーグルズのホテル・カリフォルニアを聞きながら遠い異国を思っていたあの頃〜、、、


ちょっとした、きっかけが、人生の道標になることも〜、、、


人生って面白い!